インド:混沌と喧騒と多様性の国

車道を歩くムンバイの歩行者
車道を歩くムンバイの歩行者

これまでにも何度か訪れているインド

インドはこれまで何回も訪れています。とはいってもその全てが仕事でした。訪れた都市も多岐にわたります。デリー(Delhi。ニューデリー(New Delhi)やグルガオン(Gurgaon)を含みます)は何度も、そして今回のムンバイ(Mumbai)、さらにはチェンナイ(Chennai。旧称はマドラス(Madras)です)やプネー(Pune。旧称はプーナ(Poona)です)です。出張中の休日を使って訪ねた都市にバンガルール(Bengaluru。旧称はバンガロール(Bangalore)です)やマイソール(Mysuru。旧称Mysore)があります。

上記では旧名を併記しました。実は1990年代に入ってからのインドでは都市名の呼称の変更が多く見られます。ムンバイに関しても旧称ボンベイ(Bombay)でした。変更は1995年のことです。下の写真はバーラト・モビリティ・グローバル・エキスポ(Bharat Mobility Global Expo)でのモディ首相の基調講演の様子です。バーラト(Bharat)という語が冠されているわけですが、バーラトはインドを意味するヒンディー語で、最近ではインド(India)の替わりに使用されることも多いのです。

2024年2月2日のバーラト・モビリティ・グローバル・エキスポでのモディ首相の基調講演直前の様子。中央に向かって右から着席している3人目がモディ首相。もちろんかつてのニュー・デリー出張中の一コマです。

古くからの歴史や文化を重視する姿勢

都市名の変更は、単なる名称変更ではありません。背景には、イギリス植民地時代に定着した英語名から、地域の言語や歴史、文化を反映した本来の名称へ戻そうとする動きがあります。1990年代以降、インド各州では地域の文化やアイデンティティを重視する機運が高まり、それに伴って都市名の変更が相次ぎました。

ボンベイはマラーティー語に由来するムンバイ(Mumbai)へ、マドラスはタミル語に由来するチェンナイ(Chennai)へ、バンガロールはカンナダ語のバンガルール(Bengaluru)へ改称されています。いずれも、植民地時代の英語名から、それぞれの地域で古くから使われてきた呼称を正式名称としたものです。

「インド」を意味するヒンディー語などの現地名バーラト(Bharat)という呼称も政府の公式な場で積極的に用いられるようになっています。英語名の India とヒンディー語などで使われる Bharat はいずれもインド共和国の正式名称ですが、バーラトという名称には、植民地時代以前から続く歴史や文化を重視する姿勢が反映されているといえます。

第2回世界一周、まずはインドのムンバイを再訪

インドを訪れると、インドを気に入って何度でも行きたくなる人と、もう二度と行きたくないと感じる人に分かれるといいます(俗説かもしれませんが)。その当てはめでいくと私は前者です。都市名の呼称の変更だけにはとどまらず、今インドは成長する経済を背景に大きな変革の中にあります。そんあインドの多様性に触れ、もっとインドの色々な場所に行ってみいたいと思っています。

そこで第2回世界一周旅行では、ムンバイ経由で南インドのケララ州を目指すことにしました。ムンバイは私にとって二度目です。とはいっても前回は仕事での訪問でした。もちろん空き時間を使って観光もしましたが。自由に移動できる今回のムンバイは私にどんな印象をくれるのか。とても楽しみです。

ケララ州最大の都市コーチ

ムンバイを後に南西部ケララ州(Kerala)最大の都市コーチ(Kochi)に向かいました。コーチはアラビア海に面した港湾都市です。古くからアラブや中国、ヨーロッパとの海上交易で栄え、インドでも有数の国際貿易港として発展してきました。

16世紀にはポルトガル、続いてオランダ、イギリスの支配を受けた歴史があり、その影響は現在もフォート・コーチ地区(Fort Kochi)の街並みや教会、歴史的建造物に色濃く残っています。また、中国との交易を物語る「チャイニーズ・フィッシング・ネット(中国式漁網)」は、コーチを代表する観光名所として知られています。

現在のコーチは、歴史ある港町であると同時に、IT産業や造船業なども発展するケララ州の経済・文化の中心都市です。近郊にはヤシの木が茂るバックウォーター(水郷地帯)が広がり、南インド観光の玄関口として多くの旅行者が訪れています。

私はケララ州訪問の玄関口としてコーチを選びます。歴史的遺産が多く遺るフォート・コーチ地区(Fort Kochi)に宿を取り、この古都の雰囲気を楽しみ味わいました。

インド国鉄での移動・予約から実際の乗車まで

ムンバイ起点でインド南部ケララ州を旅するに当たって、インド国鉄(IRCTC)の列車でそこそこの長距離を移動したい、そう思ったのだが全ての苦労の始まりでした。日本国内から予約を試みたのですがうまくいきません。そのために費やし時間は膨大です。

インドに着いてからも試行錯誤は続きます。最後は結局買うことができたのですが、再現性があるかどうかは不明です。さらに苦労は当日の実際の乗車まで続きました。そんな体験談を綴っています。

海辺の街ヴァルカラからケララ州都ティルバナンタプラムまで

とても苦労したインド国鉄の予約と乗車ですが、その甲斐あってコーチからヴァルカラ(Varkala)まで無事に到着することができました。ヴァルカラはインド西海岸沿いの南部に位置する小さな街です。のんびりゆったりとリゾート気分を味わおうと思って滞在地に選びました。

ヴァルカラ滞在の後は再度インド国鉄を利用し、ティルヴァナンタプラム(Thiruvananthapuram)に向かいました。インド南西部・ケララ州の州都で、アラビア海に面した南インド有数の歴史都市です。古くからアラブやヨーロッパとの海上交易で栄え、現在は州政府の行政機関が集まる政治・経済・文化の中心地となっています。

多様性の国インドでは北部と南部で様々なことが違うはずです。仕事で訪れたインドがデリー中心でした。北部のデリーとは異なるインドを楽しみに、南を目指しました。

さよならインド、ムンバイからアルゼンチンへ

ティルヴァナンタプラムでの滞在を終え、長かった南インドの旅は終わりです。次の目的地アルゼンチンに向かうため、ティルバナンタプラムから一旦ムンバイに戻ります。さらにムンバイからアルゼンチンの最初の目的地であるブエノスアイレス(Buenios Aires)まで、三つのフライトを乗り継ぎます。

まずはムンバイからフランクフルト(Frankfurt)まで、これはエア・インディア(Air India)便を利用します。次いでフランクフルトからアディスアベバ(Addis Ababa)に飛び、さらにそこからブエノスアイレスまでの便に乗り継ぎます。この残り二つの路線はエチオピア航空(Ethiopian Airlines)便の利用となります。

インドを出るまでの行程を記しますので、お楽しみください。その後の行程はアルゼンチンの項を参照してください。

タイトルとURLをコピーしました