世界一周2回目後半 no.44 – ホーチミン市の統一会堂(旧・独立宮殿)【2026年4月9日】

ベトナム
ホーチミン市の統一会堂(旧・独立宮殿) from Google Maps

統一会堂、変遷の歴史

サイゴン駅からホテルに着くと、そこに荷物を預けてチェックインの時間まで市街をブラつくことにしました。宿の近くでそこそこ見応えのある場所ということで色々考え、統一会堂(Independence Palace)に行ってみることにします。

統一会堂とは、元をたどれば現在のベトナム南部に当たるフランス領コーチシナの総督の官邸として1873年に建設され、その当時はノロドン宮殿(Norodom Palace)と呼ばれました(別に「王」がいたわけではないのですが「宮殿」です)。やがて、フランスはベトナム北部、カンボジア、ラオスの直接統治を開始しフランス領インドシナが成立すると、今度はフランス領インドシナ総督の官邸(住居往及び執務場所)となりました。

1954年のフランスが撤退で南ベトナム政府に引き渡され、「独立宮殿(Independence Palace)」と改称されます。ところが1962年には、当の南ベトナム空軍の反政府派パイロットが南ベトナム大統領の暗殺を企て、大統領官邸であった独立宮殿を爆撃します。暗殺は失敗しましたが、建物は大きく損壊しました。これを機に旧宮殿は取り壊され、同じ場所に現在の建物が新たに建設されました。

ベトナム戦争中には、南ベトナム政府の大統領官邸・政治の中枢として使用されました。そして1975年4月30日、南ベトナム民族解放戦線の戦車が正門を突破して敷地内に進入し、南ベトナム政府は無条件降伏しました。これはベトナム戦争の終結と南北ベトナムの統一を象徴する歴史的瞬間となり、独立宮殿はその舞台として保存されています。統一会堂への改名は1975年11月のことです。

統一会堂と展示館

グエンフエ通りを北西端まで歩き、ホーチミン市人民委員会庁舎とサイゴン大教会を経由して統一会堂に向かいました。特に考えもせずに南側から統一会堂に向かったので、統一会堂の敷地内では最初に下の写真の建物に行き着きました。この建物はフランス統治時代の建物を利用した展示館でした。

この展示館では、ノロドン宮殿の建設から、1954年の「独立宮殿」への改称、1962年の爆撃、そして現在の統一会堂が建設されるまでの歴史を、写真や資料で紹介しています。中に入るには入場料が必要とのこと、VND40,000です。時間的な制約もあり、ここをパスして統一会堂の建物に向かうことにします。

敷地内を通り、本投稿記事のトップ写真で示す統一会堂に、その正面から入ります。やはり入場料が必要で、展示館と同額のVND40,000でした。

統一会堂の内部

統一会堂の内部には、南ベトナム政府の大統領官邸・政庁として使われていた当時の部屋が、そのまま保存されています。建物は1966年に完成したものですが、各部屋には当時の家具や調度品が残されています。1960年代の南ベトナムの政治の中心がどのような場所だったのかを、会堂内部の様子からうかがうことができます。

下の写真の部屋は国賓宴会場です。外国からの要人を招いて晩餐会などが行われました。1967年にはグエン・バン・チュー大統領とグエン・カオ・キ副大統領の就任を祝う晩餐会が開かれています。そして、南ベトナム政府の崩壊が目前に迫った1975年3月1日には、チュー大統領がベトナム訪問中のアメリカ議会代表団を招いて最後の国賓晩餐会を開きました。そのわずか2か月後、この華やかな宴会場を使った政府そのものが消滅したのでした。

国賓宴会場。窓際に置かれた陶磁器の花瓶や正面の大きな絵画、豪華な照明が印象的な部屋です。

下の写真は赤の色調で統一された大会議室です。ここで催された重要なイベントに、当時のグエン・バン・チュー大統領による辞任表明があります。1975年4月21日のことでした。そのわずか9日後には北ベトナム軍の戦車がこの統一会堂に突入し、南ベトナム政府は崩壊します。南ベトナムの現代史を見届けた部屋でした。

赤の色調で統一された大会議室。1975年4月21日、グエン・バン・チュー大統領はここで辞任を表明しました。

館内にはこうした大型の会議室の他、大統領の執務室や応接室、内閣会議室などもあります。また、大統領一家が生活するための居住スペースも設けられていました。フランス統治時代、ここが総督の住居往及び執務場所であったのと同様、統一会堂(独立宮殿)も二つの機能を担っていたわけです。また、華やかな地上階の部屋とは対照的に、地下には作戦指揮室や通信施設なども設けられていました。

統一会堂2階のバルコニーからはレ・ズアン通り(Lê Duẩn Boulevard)を正面に見ることができます。フランス統治時代にはノロドン大通り(Boulevard Norodom)と呼ばれており、この通りを進むとサイゴン大教会に至ります。街路樹が豊かに繁り、周辺にはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの総領事館が並んでいます。

統一会堂の2階バルコニーからの眺め。正面はレ・ズアン通りです。

屋上に展示されるヘリ

屋上にはヘリポートがあり、UH-1(ヒューイ)ヘリコプターが展示されています。当初、サイゴン陥落時に要人がここからヘリで脱出したことを示すために展示されているのかと思いました。調べてみると、そうではありませんでした。

もちろんこの屋上のヘリポートは、南ベトナム大統領の緊急脱出用として実際に使われていた場所ではあります。しかし、南ベトナム民族解放戦線の戦車が正門を突破して敷地内に進入した際に、ここが脱出用に使われたわけではありませんでした。その時の南ベトナムの大統領はズオン・バン・ミン(楊文明)は統一会堂に残り、逮捕され、ラジオ局に連行されて無条件降伏を表明しました。

約8年もの間大統領を務めたグエン・バン・チューはサイゴン陥落の10日前の1975年4月21日に辞任し、4月25日にアメリカの輸送機で台湾へ脱出しました。後任の大統領は副大統領であったチャン・バン・フォンでしたが、4月28日に辞任。最後は軍人(南ベトナム軍の陸軍大将)であったズオン・バン・ミンが大統領となり、4月30日に降伏しました。在任は実質48時間ほどでした。サイゴンでの市街戦を避けるため降伏を選んだとされています。

ズオン・バン・ミンはその後しばらく拘束されましたが、1983年にフランスへの出国を許され、晩年はアメリカ・カリフォルニア州で暮らし、2001年8月に85歳で亡くなりました。わずか2日間の大統領在任でしたが、ベトナム戦争終結の瞬間に立ち会った人物として歴史に名を残しました。

屋上にUH-1を展示することで、「ここは大統領の緊急脱出用ヘリポートだった」、「しかし最後には、この場所から南ベトナム政府の首脳が脱出することなく、戦争終結を迎えた」という歴史を伝えているのでは、と感じました。

戦車843号

統一会堂の敷地内には、ソ連製のT-54B型戦車843号車が展示されています。この戦車は北ベトナム軍第2軍団・第203戦車旅団に所属し、1975年4月30日のサイゴン最終攻撃に参加し、独立宮殿に突入しました。その功あってベトナムの国宝にも指定されている、ベトナム戦争を象徴する戦車です。

統一会堂(旧・独立宮殿)の前庭に展示されている戦車843号。レプリカです。

1975年4月30日、サイゴンへの進攻を続けていた北ベトナム軍の戦車部隊が統一会堂に迫り、843号車は正門脇の門に突入しました。その直後、中国製のT-59型390号車も正門を突破して敷地内に進入しています(実際は390号車が中央の正門を先に突破し、843号車はその脇の門に突入しており、どちらが最初かは明確ではありません)。以下の写真はその瞬間を捉えた有名な記録写真です。

1975年4月30日に戦車843号と390号が独立宮殿に突入する実際の様子を捉えた写真です。
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843号車の車長を務めていたブイ・クアン・タン中尉は戦車を降りると、統一会堂の屋上へ向かい、午前11時30分、南ベトナム側の旗を降ろして、南ベトナム民族解放戦線の旗を掲げました。これが、南ベトナム政府の終焉を象徴する出来事となりました。

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