到着翌日の今日(2025年11月29日)は、鉄板のバンコック周辺観光です。ベルトラ(VELTRA)で「アユタヤ遺跡+水上マーケット+メークロン線路市場観光ツアー」を購入しました。実際に予約したのは私ではなく姉だったので予約に際しての詳細は承知していないのですが、内容的には最人気プランのようです。もちろん日本語ツアーです。従って参加者も日本人が殆ど、こうしたツアーへの参加は私にとって初めてかもしれません。
これまで何回もバンコックに来ていますが、全てが仕事でした。その合間にバンコック市内を見て歩くことはありましたが、本格的な観光スポットを訪れたことはなく、今回は楽しみです。早朝、集合場所のMBKセンターに向かいます。MBKセンターはバンコクを代表する大型ショッピングモールです。ホテルの最寄り駅BTSスクンビット線のアソーク駅からは、同線のサイアム駅(Siam)まで行き、そこから歩いて行きます。


集合場所を間違えて時間に遅れた参加者を待ちます。全員が揃ったところでMBKセンター1階横に停車していた大型バスに乗って出発しました。
メークロン線路市場
メークロン線路市場(Mae Klong Railway Market)は、バンコクの南西約80kmにあるメークロン駅周辺に広がる市場です。市場の最大の特徴は、実際に列車が走る線路のすぐ脇で営業していることです。線路上にも商品が並べられ、「線路市場(Railway Market)」の名で世界的に知られています。

列車が近づくと、市場の人々は慣れた手つきでテントをたたみ、商品を線路の外へ素早く移動させます。そして列車が市場の真ん中をゆっくり通過すると、通り過ぎた直後には何事もなかったかのように元の状態へ戻ります。この一連の動きは「アンブレラ・プルダウン・マーケット(Umbrella Pulldown Market)」とも呼ばれ、観光客にとってのこうし非日常的なシーンがこの地の魅力となっています。

線路脇の店は観光客相手の土産物屋が多いのですが、市場自体は線路脇だけではなく奥まで続いています。奥の店では新鮮な魚介類や肉、野菜、果物のほか、お菓子や衣類などが販売されており、地元の人々の日常の市場としての役割も果たしていると感じました。現在では世界的な観光名所となっていますが、市場としての機能や列車の通過そのものは現地の日常でした。
水上マーケット
メークロン線路市場の見学を終え、バスに戻ります。次は水上マーケット、意外と近く直ぐに着きました。バンコク近郊にはいくつかの水上マーケットがありますが、今回訪れたのは代表的なダムヌン・サドゥアック水上マーケット(Damnoen Saduak Floating Market)です。
ボートへの乗船場所で旧名ベストを着ます。乗り込むとボートは細い運河を結構なスピードで進み、水上マーケットと思しき場所に向かいます。両岸には民家や商店が建ち並び、他のボートとすれ違いながら進みます。運河沿いでは人々の生活も垣間見ることができますが、基本は観光客向けの土産物屋です。

私の興味を引いたのは、ボートに搭載されたエンジンです。おそらく自動車用のエンジンを転用したものでしょう。小さなボートには不釣り合いなほど大きなエンジンが船尾に据え付けられ、そこから長い回転軸が後方へ突き出しています。その先端にはスクリューが取り付けられていました。
面白いのは、この長い回転軸とエンジンが一体となって上下左右に動く構造です。操縦者はエンジンごとその向きを動かすことでスクリューの向きや水中に入る深さを自在に調整できます。そのため、水深の浅い運河でもスクリューが川底に接触しにくく、効率よく推進力を得ることができます。このようなボートは「ロングテールボート(Long-tail boat)」と呼ばれ、水上マーケットや運河、水路の多い地域では今でも広く利用されています。

やがて水上マーケットに到着し、そこで上陸しました。当然のごとく土産物店や飲食店が軒を連ねています。色鮮やかな果物やタイ料理、雑貨などが並び、多くの観光客が集っています。メークロン線路市場は地元住民向けの市場としての役割が機能うしているように思えましたが、この水上マーケットは完全に観光客向けであると感じました。マーケットをブラブラし、準備された運河沿いのレストランで昼食を取り、バスに戻りました。
アユタヤに向かう
ダムヌン・サドゥアック水上マーケットからアユタヤまではバスで2時間強かかります。途中でトイレ休憩のためにドライブイン的な場所に寄ったので、そこの雰囲気を以下の写真でお届けします。



アユタヤ:栄華と滅亡の歴史を刻む古都
アユタヤは1350年頃に築かれ、以後約400年にわたり、シャム王国の王都として栄えた古都です。 アユタヤ王朝のもとで政治・経済・文化の中心となり、三つの河川に囲まれた立地を生かして国際交易都市へと発展しました。17~18世紀にはヨーロッパや中国などから商人や外交官、宣教師らが集まり、東西の文化が交わる交易の要衝として繁栄を極めました。
最初に訪れたのは、アユタヤ遺跡を代表するワット・マハータートです。かつては重要な王室寺院の一つでしたが、現在はレンガ造りの仏塔や寺院の基壇、崩れた仏像などが残る遺跡となっています。本投稿記事のトップ写真はその様子を撮ったものです。長い年月を経た赤褐色のレンガの遺跡が遅い午後の陽射しを受けて陰影を纏う様は、なにやら無常観を漂わせます。平家物語の冒頭を思い起こしました。
遺跡の中には、頭部を失った仏像も数多く残されています。これは、1767年にビルマ軍がアユタヤを攻撃し、都市を破壊した際の爪痕です。アユタヤはこの戦いによって大きな被害を受け、住民も退去を余儀なくされました。その後、王都は再建されることなく、アユタヤは現在まで遺跡として残ることになりました。

自然の癒し:木の根に包まれた仏頭
ワット・マハータートで最も有名なのが、木の根に包み込まれた仏頭です。長い年月の中でガジュマルの木が成長し、地面に落ちていた仏頭を包み込むようになったとされています。アユタヤを象徴する風景として世界中から多くの観光客が訪れます。
ワット・マハータートで特に有名なのが、木の根に包まれた仏頭です。長い年月の間に成長した樹木の根が、地面にあった仏頭を包み込むようにして現在の姿になったとされています。破壊された都市の中で、自然と遺跡が一体となったこの光景。滔々と流れる自然の時間の中での人の営みの儚さ、そんなことを考えました。同時に、これは自然の与えてくれた癒しなのだとも感じました。

世界遺産となって
かつて王宮に隣接する王室寺院だったワット・プラ・シー・サンペットも訪れました。一般の僧侶が暮らす寺院ではなく、王宮で重要な儀式などを行うための寺院として使われました。現在は建物の多くが失われていますが、アユタヤを代表する遺跡の一つとして、その威容を今に伝えています。
写真に見えるのが、ワット・プラ・シー・サンペットを象徴する3基のチェディ(仏塔)です。これらは15世紀末から16世紀初頭にかけて建立され、アユタヤ王朝の歴代国王の遺骨を納めるために造られたとされています。白い漆喰で覆われた塔と赤褐色のレンガの遺構の対比が美しく、青空を背景にすると、その姿がいっそう際立ちます。
かつては王宮の一部として壮麗な建築群が広がっていた場所ですが、1767年のビルマ軍によるアユタヤ攻略によって建物の大部分が失われました。3基のチェディなどが往時の姿をとどめるに過ぎません。現在残る寺院や仏塔の遺構は、アユタヤ王朝の栄華と、その突然の終焉を同時に伝えているわけです。アユタヤ歴史地区は1991年、「古都アユタヤ」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

アユタヤの遺跡群は色々なことを感じ、考えさせてくれます。青い空の下、緑豊かな公園のような遺跡の中で、もっともっとそこに佇み、無為な時間を過ごしたかった。ですがツアーの悲しさ、集合時間は迫っています。ツアーでなく個人で再度訪れたい、そう思わせてくれる場所でした。
巨大な涅槃仏
アユタヤの最後はワット・ロカヤスタラム(Wat Lokayasutharam)の巨大な涅槃仏です。レンガと漆喰で造られた仏像は全長約42メートル、高さ約8メートルにも及び、現在は屋根のない屋外に横たわっています。頭部は蓮の花を模した台座に載せられており、なんともいえない穏やかな表情が印象的です。
この涅槃仏は、かつてはヴィハーン(仏堂)の中に安置されていました。しかし建物は崩壊し、現在は24本の八角形のレンガ柱など、その基礎部分を残すだけとなっています。この仏様がもともといつ作られたのか定かではありません。様式からアユタヤ王朝中期、16世紀以降のものと考えられています。1954年に発掘・修復され、現在の姿になりました。1954年に発掘・修復され、その後1989年にも修復されています。

下の写真はweb上で見つけました。写真の状態からそれほど古いものではないはずです。1954年に発掘・修復された後、1956年、1989年にも修復されています。私が実際に見たクリーム色の表面はこうした修復の後の修復によって整えられたようです。

以上で盛りだくさんだったバンコック近郊のツアーは終わりです。バスに乗り込み、夕闇迫る中、出発したMBKセンターに戻りました。


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