第2回世界一周前半 no.39 – ウルグアイの首都モンテビデオで過ごした5日間【2026年2月12-16日】

stay-in-montevideo ウルグアイ
モンテビデオの旧市街から海を望む

モンテビデオでは今回の旅で一番の宿

モンテビデオ(Montevideo)での宿はホリデー・イン・モンテビデオ(Holiday Inn Montevideo)です。今回の旅で泊まった宿としては最も高級な部類に属するホテルです(基本セコいので、高いホテルには泊まらないことの結果ですね)。トレーニングジムはもちろんのこと、プールも付いています。

滞在中は毎日ランニングマシンを使いました。
holiday inn montevideo
プールがあっても使いませんでした(水着は一応持参しているのですが…)。結局のところ、ホテル選択でプールの有無は関係ないですね。
holiday inn montevideo

もちろん朝食付きで予約しています。期待していたのですが、生野菜がそのまま供されることはありませんでした。ただ、小分けしたサラダとしては用意されていたので、アルゼンチンのこれまでの宿と比べると大きな進歩です。あと、オレンジジュースの質が良かったですね。

基本は炭水化物系ですが、一応は野菜系の準備もありました。これは大きな進歩です。
holiday inn montevideo

モンテビデオは海が身近

ホテルを出て、辺りを歩き回りました。旧市街方面では海をとても身近に感じます。海といっていますが、ラプラタ川(Río de la Plata)の巨大な河口でもあり、海か川かは微妙なところです。見た目はまんま海ですが、この水域は淡水でも海水でもなく、両者が混ざる汽水域なのだそうです。

海沿いの道は市民の憩いの場となっており、釣りをする人、走る人と様々です。
stay-in-montevideo
ビーチチェアを運び込み、日光浴する人も見かけます。
stay-in-montevideo

ウルグアイの英雄アルティガス

モンテビデオの旧市街地域入口付近に独立広場(Plaza Independencia)があります。そこにはARTIGAS(アルティガス)と標される男性の騎馬像が設置してあり、その地下には厳かな雰囲気の施設があります。気になってアルティガスという人物とウルグアイの歴史について簡単に調べてみました。

「ARTIGAS」とだけ記された騎馬像。場所はモンテビデオの独立広場です。
Artigas Mausoleum montevideo

その人物はホセ・ヘルバシオ・アルティガス(José Gervasio Artigas)で、19世紀初頭のスペインからの独立運動を率いました。ウルグアイでは「建国の父」と呼ばれるています。その当時のウルグアイを巡る情勢は複雑でした。スペイン、ポルトガル、そして隣国アルゼンチンやブラジルの勢力が入り乱れ、いわば陣取り合戦を行っていたのです。

そうした中でアルティガスは、現ウルグアイ各地域の自治を重んじる政治思想を掲げて独立運動を展開し、各層からの幅広い支持を得ました。残念ながら1817年、ポルトガル王国の支配下にあったブラジル軍に追われパラグアイへ亡命します。その後の約30年間をパラグアイの地で静かに暮らし、没しました。ただ、彼の思想はウルグアイの政治文化に深く根づいたとされています。

彼の亡命後もウルグアイ情勢は混沌を極めました。最終的には1828年、イギリスの仲裁によりブラジルにもアルゼンチンにも属さない独立国家としてウルグアイが誕生しました。アルティガスの死後、ウルグアイ国内では「建国の父」としての評価が急速に高まり、20世紀に入ると国民的英雄として再評価されるに至ります。

地下の施設はアルティガス廟(Artigas Mausoleum)、そこに彼の遺骨が安置されています。

騎馬像の横から階段を降りると廟の入口です。
Artigas Mausoleum montevideo
アルティガス廟の内部。両脇には正装した軍人(儀仗兵でしょうか)が直立不動で立っています。
Artigas Mausoleum montevideo

モンテビデオのランドマーク

独立広場周辺にはアルティガス廟以外にも特徴的な建物がいくつかあります。まず目を惹くのはサルボ宮殿(Palacio Salvo)です。宮殿といっても王様が住む本当の宮殿ではありません(そもそもウルグアイは建国時から王様はいません)。それっぽい外観からの単なる呼称です。

1928年に完成、その当時は南米で最も高い建物でした。れていました。建物はもともとホテルとして計画されましたが開業することはなく、現在はオフィスや住居が入る複合用途の建物として使われています。1928年というと、1929年の世界恐慌の直前です。様々な困難があったと想像できます。

特異な外観はランドマークとして十分機能しますね。
Palacio Salvo montevideo

下の写真はGateway of the Citadel(Puerta de la Ciudadela)、要はシウダデラ門との意味で独立広場に面して置かれています。かつてモンテビデオ旧市街を守っていた城壁の唯一の現存部分で、18世紀のスペイン植民地時代に建てられました。

かつては旧市街を囲むように城壁がありました。その一部としてシウダデラ門が残っています。
Gateway of the Citadel montevideo

とにかく量が多い肉料理

モンテビデオでは食事も少しだけ贅沢に行きます。夕食にエル・フォゴン(El Fogón)というレストランで牛ステーキを食べました。中級上的な店構え、webで調べて行ってみました。注文では迷いましたがPetitとの表示があるものを選んで写真の大きさです。この大きさで私には十分、これをメインに必ず付属で供されるパンと肉パテ、飲み物にスパークリングウォーターを頼んで計4,000円程度でした。

店構えや内装は中級上位の雰囲気、店の前のおじさんは客の案内係です。
montevideo-el-fogon
from Google Maps
私には量も、そして肝心の味も十分満足のいくものでした。
stay-in-montevideo

再度別の店でも肉を食べました。ラ・パシーバ(La Pasiva)という名前のレストランチェーンです。前回とは異なり、私の感覚では中級下位の店構えです。今回はチキンにしました。供された肉の量を見て後悔しました。多いのです。元来のセコさから頑張って完食しましたが、ジムでの努力が一気に水泡に帰しました。価格はスパークリングウォーターを付けて3,000円程度、コスパも含め総合的にエル・フォゴンに軍配が上がります。

店の名はラ・パシーバ、チェーン店です。
stay-in-montevideo

モンテビデオの日常

エル・フォゴンには夜の9時頃に行き、食事を終えたのは10時過ぎです。その後、歩いてホテルに戻りました。この時間の外歩きに若干の不安なしとはしなかったのですが、ホテルまでの道のりに不安を感じりことはありませんでした(油断は大敵ですが)。総じて場所を選べば危険な雰囲気を感じることはなかったです。

夜の10時過ぎ、レストランからの帰り路の雰囲気です。
stay-in-montevideo

昼間ブラブラと歩いていたら、とある公園でタンゴを踊るカップルがいました(多分タンゴだと思います)。それも年齢層が高めのカップルです。何かのイベントなのでしょうか。タンゴといえばアルゼンチンですが、ウルグアイもタンゴ発祥の地の一つとされています(AIによれば)。

特別なイベントというよりは同好の志による定期的な催しのような気がします。
stay-in-montevideo

コメント

タイトルとURLをコピーしました