第2回世界一周前半 no.8 – インド西海岸南部の街コーチに残るシナゴーグとユダヤ人の歴史【2026年1月19日】

synagogue-jew-town-in-fort-kochi インド
パラデーシ・シナゴーグ(Paradesi Synagogue)

コーチにあるユダヤ人街

フォート・コーチ地区(Fort Kochi)にある半島突先部をのんびりと散策することにします。とはいっても一応目的地はあります。ユダヤ人街です。宿からは十分に徒歩圏です。歩行者にとっては歩きずらいインドの路を進みユダヤ人街に入ります。メインの通りは自動車(バイク含む)の進入が禁止されており、とても歩きやすく良い雰囲気です(典型的な観光地というノリではありますが)。

フォート・コーチ地区に残るユダヤ人街。インドにしては珍しく車の乗り入れ禁止の場所です。

思わずお茶してしまいました。この喫茶店も洗練された雰囲気、民芸品店と喫茶店が融合した造りになっています。普通のインドの喫茶店(というか茶屋)とは違い、居心地の良い空間でした。その分料金も普通のインドの茶屋とは違い、そこそこお高かったのですが…。

ユダヤ人街にある喫茶店。なかなか居心地のいい店でした。

この地のユダヤ人の歴史

この雰囲気の良い通りの終点にはシナゴーグがあります。シナゴーグとは、いってみればユダヤ教の集会所です(私の理解が間違っていたら申し訳ありません)。この記事のトップ写真は、シナゴーグの入口に掛かっていた標識です。コーチン・パラデシ・シナゴーグ(COCHIN PARADESI SYNAGOGUE)と書いてあります。その意味を理解するために、この地域のユダヤ人について簡単に調べてみました。

ユダヤ人街に残るコーチン・パラデシ・シナゴーグ。

ローマ時代以前から、インドの胡椒や香辛料貿易を通じてユダヤ商人がマラバール海岸(現ケララ)に定住しました。彼らは後にマラバール・ユダヤ人(コーチン・ユダヤ人)と呼ばれる共同体を形成します。コーチン(Cochin)とはこの地域の旧称です。

時代は下りイベリア半島をキリスト教徒がイスラム教徒から取り戻します(これは見方によるので、再侵略といってもいいかもしれません)。イスラム治世下では一応認められていたユダヤ教ですが、一転して棄教を求められるようになります。これを嫌ったユダヤ教徒の一部がこの地に逃れてきました。彼らはセファルディ系ユダヤ人と呼ばれます。

このシナゴーグはセファルディ系ユダヤ人が建立したものです。名称に付された「パラデシ」は異邦人や外国人という意味であり、このことから古くからこの地に定住したマラバール・ユダヤ人とは別の人間集団として生活していたことが伺えます。交流はあったかもしれませんが同化はしなかったということでしょう。

やがてインドにもキリスト教徒がやって来ました。この地に最初に来たのはポルトガル人でした。ポルトガルの時代はかなりユダヤ人にとって困難な時期となりました。そうした中、ユダヤ人はヒンドゥー王朝であるコーチン王国の保護を受けました。宗教的迫害はほとんどなく、商業や外交、翻訳・金融などで重要な役割を果たしたとされています。

1948年にイスラエルが建国されます。 その結果、この地の多くのユダヤ人はイスラエルに移住しました。かつて数千人いた共同体は急速に縮小し、現在では定住ユダヤ人はほぼいません。このシナゴーグは、宗教施設としてよりも歴史的・文化的遺産として維持されているというのが現状です。

シナゴーグの内部

実は、シナゴーグに入ったのは今回が初めてです。従って、このシナゴーグが他のシナゴーグと比べて正統的なのか、それともケララ州的な味付けがされているのか。私にはわかりません。以下の写真はシナゴーグ内部の奥を撮ったものです。おそらく赤幕の内側にトーラーを収める聖櫃(Torah Ark)が置いてあるのでしょう。

シナゴーグの内部。これが正統的なシナゴーグの内部なのか否かは、私にはわかりません。

以下の写真はトーラーを朗読する祭壇(Bimah / Almemar)ではないかと思います。そこに重要そうなプレートが掲げられていました。多分ヘブライ語、私はもちろん読めません。AIに書かれている概要を教えてもらいました。

おそらくトーラーを朗読する祭壇ではないかと思います。

どうも何かを奉献した記念文のようです。AIの解説を基に私の理解で以下に大意を書き記します。ラオル家が神への感謝と共同体の繁栄を願い、このシナゴーグに捧げた記念文がその内容ということのようです。

祝福されよ、我らの神、世界の王なる主よ
この聖なるものは、神の栄光のため
そしてこの会堂においてトーラーが正しく読まれ
イスラエルの民が祝福されるために
捧げられたものである
ラオル家贈

コーチの教会が持つ独特な雰囲気

コーチではキリスト教会を結構な頻度で見かけます(もちろんヒンドゥー教寺院も多いですが)。その教会建物の持つ雰囲気がヨーロッパで見る教会とは異なるように感じるのです。例えば下の写真、キリスト教会ではあるのですが、何かが違いますよね。そこで、この地のキリスト教の歴史を調べてみました。

持つ独特な雰囲気を醸すコーチの教会。
church-in-fort-kochi

なんとケララのキリスト教は使徒トマス(聖トマス)が 西暦52年 にインドに来たという伝承を持ちます。歴史的事実と証明できる一次史料は存在しないというのが学術的な評価ではあるのですが、インド(ケララ)のキリスト教共同体に深く根付いた強い伝統となっています。

こうした伝承を基に、ケララのキリスト教は独自の様式を持って発展しました。言語はアラム語系をベースとし、教義は東方キリスト教であり、典礼はローマ帝国公認以前の極めて古い形式となっています。植民地宗教ではなく、古代地中海宗教に連なったキリスト教なわけです。

やがてポルトガルがやって来ます(またポルトガルですね)。ポルトガルはインドのキリスト教を正典に戻すと称して介入しました。この結果、インドのキリスト教会はこれを受け入れる派とそうでない派に分かれ対立し、分裂しました。その後のイギリス統治期にはプロテスタントも拡大します。

ケララ独自のキリスト教をベースとしつつも、その後の様々な外的影響の中で独自の発展を遂げた結果、現在に至っているわけです。私が感じたちょっと異なる雰囲気は、こうした歴史的な経緯から生まれたのだと思います。

ちなみに、ケララ州人口の約 18〜20% がキリスト教徒です(インド全体でのキリスト教徒比率は約2.3%、ケララ州の比率がいかに高いかが理解できると思います)。教育・医療分野で大きな影響力を持ち、ヒンドゥーやイスラム教徒との関係は良好で、政治的にも一定の発言力があるとされています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました