第2回世界一周前半 – 今度はマイル利用で世界一周、目指すは南インドと南米

この旅の概要

旅行期間:2026年1月13日~2月20日 合計39日

簡単な旅程:
日本

インド

アルゼンチン

ウルグアイ

日本

利用航空券:スターアライアンス世界一周航空券(マイル利用)

旅のテーマ:
・混沌と喧騒のインド・ムンバイの観光
・南インド・ケラーラ州をインド国鉄で巡る旅
・アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの観光
・アルゼンチン南部パタゴニアの自然探訪
・首都モンテビデオを始めとしたウルグアイ巡り

総費用概算:約   円

ANAマイルを利用した世界一周は残念ながら終了

第1回世界一周はアライアンスが提供する世界一周航空券を普通に買いました。その辺の経緯は以下の投稿記事に記載しています。

今回の第2回世界一周は、ANA(全日本空輸)のマイルを世界一周航空券に引き換えて実現しました。ただ、マイル引き換えによる世界一周はこれが最初で最後の機会となりました。ANAは2025年6月23日をもってANAのマイルを使った世界一周航空券の発券を終了したからです。このことは、そこそこ以前からアナウンスされていたようで、私も第一回の世界一周に向けての諸手続きの最中に知ることとなりました(実は当初の第1回世界一周、マイル引き換えで行こうと思っていたのです)。

そこでセコい私は、なんと第1回目の出発前であるにも関わらず(第1回の出発は2025年6月16日です)、頑張ってANAマイル引き換えでの世界一周航空券の計画作りと発券に邁進しました。その結果が今回の第2回世界一周です。この辺の経緯は以下の投稿記事に記載しました。

兎にも角にも、そうした経緯で第2回世界一周は開始されることになりました。ただこれも運命、非常に中身の濃い旅を楽しむことができました。以下にそのハイライトを載せましたのでお楽しみください。

インドのハイライト

インドはこれまで何回も訪れています。とはいってもその全てが仕事でした。今回の第2回世界一周の前半、ムンバイ(Mumbai)からインドに入り南インドのケララ州(Kerala)を巡りました。「混沌と喧騒と多様性」の国、私がインドに持つ印象です。今回の訪問はさらにこの印象を強めてくれました。成長する経済を背景に大きな変革の中にあるインドに関し、今回の旅で私が抱いた思いをお楽しみください。

足掛け16日のインド滞在を詳細に記せばその量は膨大です。例によってここでは滞在地ごとに数枚の写真を載せ、キャプションを付すにとどめます。このハイライトで興味を持っていただけたら、是非以下のページをご覧ください。インドで感じた様々を書いた投稿記事をまとめて掲載しています。

久しぶりのムンバイ

チャトラパティ・シバジ・マハラジ・国際空港(Chhatrapati Shivaji Maharaj International Airport Mumbai、ムンバイ空港)には、いつの間にかメトロが繋がっていました。とても綺麗な空港ターミナル2駅です。
ホテル最寄りの地下鉄駅を出たところです。歩いている人もいますが、屯っている人もいます。若者から老人まで、何故か歩道で佇み、お喋りをしている。ムンバイ(インド)あるあるの日常的な風景です。
歩道を歩きたくても突然歩けなくなる、こうしたシーンもムンバイ(インド)あるあるです。ただ昼間に歩く限りにおいて、交通事故以外の恐怖は感じません。右端の方が写真に写ったのは偶然です。
喧噪や混沌、猥雑さ、集う人々、そしてゴミの散乱。ムンバイにの印象を表すキーワードです。その一方で、こうした印象とは対極の場所も存在します。写真はフェニックス・パラディアム(Phoenix Palladium)という世界の標準的なモールです。
チャトラパティ・シヴァジ・マハラジ博物館(Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya)。1922年にプリンス・オブ・ウェールズ博物館(Prince of Wales Museum of Western India)として一般公開が開始され、1998年に現名称に変更されました。
展示品の中でも私の心を惹いた彫像です。ヴァナデーヴァター(Vanadevata)と呼ばれる精霊で、インドの部族社会に根ざした自然信仰の中で神様と崇められています。

ケララ州最大の都市コーチ

ムンバイを後に、インディゴ航空(IndiGo)便でコーチン国際空港(Cochin International Airport、下の写真)に飛びました。コーチン(Cochin)はコーチ(Kochi)の旧称です。ここからバス、メトロ、フェリーを乗り継いでコーチの旧市街であるフォート・コーチ地区(Fort Kochi)の宿に向かいました。
フォート・コーチ地区の海岸線を歩くと、「チャイニーズ・フィッシング・ネット(中国式漁網)」と呼ばれる固定式の漁網が目に入ります。その網を上げ下げすることで漁をします。捕れた魚は近くの遊歩道沿いの露店で売られていました。
フォート・コーチ対岸の護岸沿いで遊覧船の客引きの誘いに応じました。出発間際で料金を半額にするというのです。コーチ港内約1時間のクルーズです。
私の後からも幾組かの乗客が同じ船室に乗ってきました。私と同じ半額組でしょうか。皆フレンドリーで、音楽をかけて踊りだしました。インド映画のノリです。私も踊ろうと誘われましたが、流石に見るだけにとどめました。
フォート・コーチ地区にある半島突先部を散策しつつ、ユダヤ人街を訪れます。メインの通りはインドにしては珍しく車の乗り入れが禁止されていました。いかにも観光地といった風情ではありますが、とても歩きやすく良い雰囲気でした。
この雰囲気の良い通りの終点にはシナゴーグがあります。シナゴーグとはユダヤ教の集会所です。シナゴーグの入口に掛かっていた標識にはコーチン・パラデシ・シナゴーグ(COCHIN PARADESI SYNAGOGUE)と書いてあり、この地にもユダヤ人の歴史が刻まれていたわけです。

一筋縄ではいかないインド国鉄

ムンバイ起点でインド南部ケララ州を旅するに当たって、インド国鉄(IRCTC)の列車でそこそこの長距離を移動したい、そう思ったのだが全ての苦労の始まりでした。日本国内で何とか予約を取ろうと試行錯誤を重ねましたが結局できませんでした。インド入国後に再度トライ、最後は成功しましたが、とにかく一筋縄ではいかない、それがインド国鉄の印象です。詳しい解説は詳細を記した投稿記事を参照してください。

私が乗ったインド国鉄の区間はコーチにあるエルナクラム・タウン駅(Ernakulam Town)からヴァルカラ・シバギリ駅(Varkala Sivagiri)までと、ヴァルカラ・シバギリ駅から)ティルヴァナンタプラム中央駅(Thiruvananthapuram Central)までです。その間に撮った写真の幾つかが以下です。

エルナクラム・タウン駅のホームです。ここで列車を待ちます。私の列車は1時間遅れで到着しました。
自分の列車を待つ間に何本もの列車が通過していきます。殆どが古そうな列車だったのですが、中には写真のようなカッコいい列車も。これはヴァンデ・バーラト・エクスプレス(Vande Bharat Express)で、2023年以降に登場したインド国産の準高速列車です。
ついに到着した私の乗車列車。従来型の機関車に牽引された古めの車両でしたが、私の予約席のクラス「A.C. 2 TIER」は結構いい席です。
これが私の予約した車両の内部です。実は寝台車で、写真を撮った時には寝台が畳まれて通常席となっています。もちろんエアコン完備です(全ての車両がエアコン完備ではありません)。
乗ってしまえば快適なインドの鉄道ですが(予約から乗車までは大変でしたが)、不満の一つがゴミの散乱です。都市の中の道路沿いだけでなく線路沿いにもゴミが捨てられていました。

海辺の街ヴァルカラ

ヴァルカラ(Varkala)は南インドの西海岸沿いに位置する小さな街です。コーチのような大都市滞在の後、のんびりリゾート気分を味わいたいと思い訪問地に選んだのがヴァルカラです。宿からはアラビア海を見渡すことができます。
アラビア海はヴァルカラの西に位置します。ですから夕陽は海に沈みます。その際には海と空が茜色に染まります。そんな瞬間を撮ったのが下の写真です。陽が沈み、海と空の色が変わり、最後に暗闇に包まれる。変化する景色は本当に美しいものでした。
海岸沿いに走る高台の上にホテルは建っており、敷地からは階段を下って海辺に降りることができます。パブリックビーチではありますが、ちょっとしたプライベート感を味わうことができました。
綺麗な砂浜がある海辺の街で、砂浜付近で遊ぶ観光客の多くはインド人でした。湘南のそれほど有名でない海水浴場を思い出させる雰囲気です。坂を降りると砂浜で、道の両脇には海の家。そんな光景が日本の湘南の夏を思い出させてくれます。
海沿いを逸れて街中に入ればムンバイのような人混みとは無縁です。舗装が破れかけた道路とその両側に連なる緑が多めの住宅が醸し出す絶妙な雰囲気、インドの田舎の一風景です。

ケララ州の州都ティルヴァナンタプラム

ヴァルカラ滞在の後、今度はケララ州の州都ティルヴァナンタプラム(Thiruvananthapuram)に向かいました。州都だけあって大都市です。中心部には街の象徴ともいえるヒンドゥー教寺院、パドマナーバスワーミ寺院(Sree Padmanabhaswamy Temple)があります。写真は寺院の象徴東門のゴープラム(Gopuram)です。
パドマナーバスワーミ寺院から東に数分歩くと、ティルヴァナンタプラムを代表する歴史的建造物の一つイースト・フォート(East Fort)の城門が道を囲むように建っています。18世紀にトラヴァンコール王国(Kingdom of Travancore)によって築かれた城郭の東門です。
夕闇迫るイースト・フォート付近の雑踏。州都ならではの賑わいです。
もちろん巨大なショッピングモールもあります。外観は違えど中の雰囲気は他の大都市にあるモールと似ています。
ティルヴァナンタプラムの住宅街です。同じ住宅街でもヴァルカラに比べると街中感が強いです。
住宅街の中で旧ソ連の国旗に使われていた共産党のシンボルマーク「槌」と「鎌」です。インド共産党(マルクス主義)(CPI(M)、Communist Party of India (Marxist))と書かれており、LDFはLeft Democratic Front(左翼民主戦線)の略です。ケララ州ではつい最近までCPI(M)を中心とするLDFが州の政権を担っていました。
毎年1月26日は憲法の施行により共和制国家として新たな一歩を踏み出したことを記念するインドの国民の祝日、共和国記念日(Republic Day)です。私の泊まったホテルでも、国旗掲揚を伴う儀式が厳かに執り行われました。

第2回世界一周前半のインド編ハイライトは以上となります。お終いです。ここに記した内容は私の感じ考えたことのほんの一部、伝えたい多くのことは書き切れていません。繰り返しになりますが、インドの旅の中で伝えたいと感じたことや、素晴らしい(面白い)と思った写真を載せたブログ(投稿記事)を以下のページにまとめて掲載しています。このページもご覧いただければ幸いです。

フライトを三つ乗り継いでブエノスアイレスへ

ティルヴァナンタプラムの滞在を終え次の目的地アルゼンチンのブエノスアイレス(Buenos Aires)に向かうため、往路と同様にインディゴ航空便で一旦ムンバイに戻ります。ムンバイ・ブエノスアイレス間は、ムンバイ・フランクフルト(Frankfurt)、フランクフルト・アディスアベバ(Addis Ababa)、アディスアベバ・ブエノスアイレスと、三つのフライトを乗り継ぎます。

この移動ですが、ムンバイからアディスアベバに向かう際にフランクフルト経由となり、正直かなりの遠回りです。今回が特典航空券によるビジネスクラスの利用ということで、予約の際に経路や総飛行距離で無理せざるを得なかった結果です。要はビジネスクラスでの予約を第一優先にした結果、このルートの予約しか取れなかったということです。

ムンバイからブエノスアイレスまでの飛行経路図。無駄の多い経路になってしまいました。

そうはいっても普段は乗ることのない路線と航空会社、飛行機の搭乗自体が楽しみです。そんな私の搭乗体験をお楽しみください。

ムンバイからフランクフルト

ムンバイ空港の国際線チェックインは、新しく清潔でで広大なターミナル2で行います。私のムンバイ・フランクフルト間のフライトはエア・インディア(Air India)便を利用します。もちろんT2でのチェックインです。
エア・インディア便の出発まではAdani Lounge West Wingというラウンジで過ごします。ここはエア・インディアや スター・アライアンスのビジネスクラス客向けのムンバイ空港T2における主要ラウンジという位置付けのようです。用意されていた料理はインド料理が中心でした。
エア・インディアのビジネスクラスの座席配列は1+2+1のレイアウト、周りを壁で囲まれプライベート感は高いです。モニターの下の足を延ばす空間の奥行は結構な深さです。実際にシートを倒して寝てみましたが、問題なく足を伸ばすことができました。
飛行中に供された食事です。エビを揚げたものに温野菜とライスとなります。味付けはインド風でやや辛でした。もちろんメイン以外にも前菜やデザート、さらにはお願いすれば軽食やフルーツが提供されました。食べすぎに注意です。
快適な飛行を終え、飛行機は無事にフランクフルト空港(Frankfurt Airport)に到着しました。乗り換えるだけの私は、入国せずに乗り換え便の搭乗ゲートに向かいます。

フランクフルトからアディスアベバ

エチオピア航空(Ethiopian Airlines)のビジネスクラスです。利用は初めてですが広さも座席配置も標準的でした。モニターの表示言語は英語・フランス語・ヒンディー語・中国語です。エチオピアの事実上の公式言語アムハラ語の表示はなく不思議に感じますが、インドと中国の利用客が多い故とのことです。
ビジネスクラスで供される機内食は前菜、メイン、デザートの三品が標準、エチオピア航空の機内食もそうでした。写真は前菜とサラダです。出された食事はどれも美味しかったです。エチオピア(アフリカ)風の味付けが特徴ですかね。
飛行機は地中海からアフリカ大陸上空を飛行します。ただ夜の時間帯、何も見えませんでした。やがてアディスアベバが近づき、飛行機は着陸態勢に。アディスアベバの夜景が綺麗に広がっているのが窓越しに見えました。夜明け前の都市がこんなに明るいとは!! 少しだけ意外でした。
無事にアディスアベバ・ボレ国際空港(Addis Ababa Bole International Airport)に着陸、我々乗客は降機しました。私は乗り継ぎなので入国はしません。国際線乗り継ぎの案内板に従って進みます。この案内板の色と床に示されたアフリカらしい色彩の動線の色とがリンクしており迷いません。

アディスアベバからブエノスアイレス

入国しない私は、ブエノスアイレス行き搭乗まで例によってラウンジで過ごします。準備されている食事類の中心は、やはりエチオピア(アフリカ?)系の料理です。食べたかったのですが、次のフライトでの食事のためぐっと我慢です。気のせいか、ラウンジで寛ぐ乗客に中国系と思われる東洋人が多い気がしました。
時間になり搭乗開始ブリッジを渡る途中で列が止まります。待たされること約30分、ようやく列は歩みを再開し機内に入ります。それならロビーで待たせてくれよと心の中で文句を唱えます。下の写真はその時に撮ったエチオピア航空のB777、フランクフルト・アディスアベバ間がB787だったので巨大さが際立ちます。
座席配列は2+3+2、シェルやルームタイプではなくオープン席です。広さは十分ですが古さは否めません。ちょっとがっかりです。これでがっかりとは私も贅沢になったものです。ちょっと反省。オープン席で最前列のため、モニターは収納タイプの小型でした(2列目以降は大型モニターが前席背面に据えられていました)。
搭乗便はアディスアベバからブラジル・サンパウロ(San Paulo)経由でブエノスアイレスに向かいます。離陸後とサンパウロ着陸前、さらにはサンパウロ離陸後の計3回、機内食が提供されます。美味しいとは思うのですがフランクフルト・アディスアベバ便と同じような味付けで、正直にいえば印象に残りませんでした
ほぼ定刻、飛行機はブエノスアイレスのエセイサ国際空港(Ezeiza International Airport)に到着しました。長い移動でしたが思ったよりも疲れなかったのは3便ともビジネスクラスだったからでしょう。

アルゼンチンのハイライト

三つ乗り継いで到着したアルゼンチンの首都ブエノスアイレスです。まずは観光の中心レコレータ地区(Recoleta)に宿を取り、付近の散策と幾つかの観光スポットを巡りました。私にとってのアルゼンチンの本命はパタゴニア、そこに位置するロス・グラシアレス国立公園でのトレッキングです。ペリト・モレノ氷河へのツアーも楽しみでした。

このページではアルゼンチン滞在中のハイライトを写真を中心に紹介します。より詳細な旅行記については、旅行中の地域やイベントごとに内容や印象、感想をブログ形式の投稿記事にしました。アルゼンチンの旅に関しそれらの記事をまとめたページが以下です。ご覧いただければ幸いです。

のんびりとブエノスアイレス

私の泊まったホテルはブエノスアイレスの中心部、観光地のど真ん中というレコレータ地区に位置しています。ホテル前の歩道にはレストランの屋外席が所せましと並んでいます。観光地あるあるの風景ですね。
ホテルの目の前はレコレータ墓地です。小さい家のような霊廟が密集しており、これは都市型の歴史的墓地に特有のスタイルです。写真は私の泊まった部屋から見下ろしたレコレータ墓地です。
新緑の街路樹が美しい宿近くの、さほど広くはない通りです。こんな通りにもバスは走っています。バスに隠れる建物はカールフール、フランス系のスーパーマーケットです。場所を選べば、身の危険を感じることなくフツーに行動できる街です。
ブエノスアイレスの街中で見た現代のアルゼンチンが歩んだ苦難の過去を象徴する壁画。アルゼンチンでは、騎馬警官は権力と抑圧を示す代表的なモチーフだそうです。

ピラールの聖母聖堂と国立美術館

宿の近くにピラールの聖母聖堂(Basílica Nuestra Señora del Pilar de Buenos Aires)がありました。聖母マリアは宣教に苦しむ使徒ヤコブの前へ現れて励まし、石柱を残したとされます。この伝承に基づく教会は世界中にあり、レコレータの教会もこの伝承を受け継いぎピラール(石柱)の名が付されています。
教会内部は一般的なカトリック教会とほぼ同様です(私の感想です)。
国立美術館(Museo Nacional de Bellas Artes)です。入場はなんと無料でした。所蔵品はヨーロッパ近代絵画の名品がズラリ、それはかつてアルゼンチンは世界有数の富裕国だったころの残滓なのかもしれません。
マネ(Manet)、モネ(Monet)、ゴーギャン(Gauguin)、エル・グレコ(El Greco)といった名だたる画家の実物作品が展示されています。私にとっての極めつけはグレコの絵、「オリーブ山の祈り(Jesús en el Huerto de los Olivos)」です。
from Museo Nacional de Bellas Artes Home Page

二つの近現代美術館

今回の世界一周旅行の帰国直前、飛行機に乗り継ぐためにブエノスアイレスに再度寄りました。その際に時間に余裕があったことから、ブエノスアイレス現代美術館(MACBA: Museo de Arte Contemporáneo de Buenos Aires)とブエノスアイレス近代美術館(Museo Moderno: Museo de Arte Moderno de Buenos Aires)を訪ねました。

ブエノスアイレス現代美術館(MACBA)。小さな美術館でした。展示は抽象画や抽象的な工作、実験的な写真といった内容です。
現代美術だけあって抽象度が高く、作品の意図がよく理解できませんでした。そうした中で比較的印象に残った作品がこれ。繭の中にいる幼虫を連想しました。
ブエノスアイレス近代美術館(Museo Moderno)は規模的にも、施設的にも一般的な美術館でした。
展示作品の中で強く印象に残った作品です。何とも不気味な人形たちの特設展示的なコーナーでした。同系統の、欠損のある子供達の人形が各種展示されていました。虚ろな目に何を語らせたかったのか。そんなことを考えながら人形たちを見つめました。
もう一つ、印象に残った特設展示コーナーに触れたいと思います。ダリラ・プッツォビオ(Dalila Puzzovio)という1960年代に活躍した女性アーティストの足跡を紹介するコーナーです。彼女の左腕に付けられた針刺し(多分?)が、ファッションデザイナーであることを強調しているような気がします。

圧倒的なペリト・モレノ氷河

ブエノスアイレスからアルゼンチン南端の街エル・カラファテ(El Calafate)へと向かいました。距離にして3,000キロ、飛行3時間の空の旅です。エル・カラファテ滞在の最大の目的はペリト・モレノ氷河(Perito Moreno Glacier)の見学です。エル・カラファテからペリト・モレノ氷河までは相当に距離があり、一般的には氷河ツアーに参加して見学をすることになります。私もそうしました。

ペリト・モレノ氷河見学の拠点に到着する前、小高い丘に展望台があり、バスはそこで休憩を取りました。そこから望んだ景色が下の写真です。視点が高い場所から見ると、全景を分かり易く捉えることができます。
奮発してクルーズ船での遊覧付きのツアーにしました。船は氷河の末端まで近づき、雪と氷の造形物を見せてくれます。時折氷河末端が崩落し、轟音を響かせます。見るもの、聴く音全てに圧倒され、強烈な印象を心に残します。
遊覧船は以下の写真のように巨大な湖上を進みます。もちろんこの船は、私の乗った船ではありません。
ペリト・モレノ氷河に最も近い対岸地点を起点に氷河見学のトレッキングコースがいくつか整備されています。コースは相応に長く、歩きやすい径はトレッキングコースというよりは遊歩道です。所々に展望台も設置され、とても快適でした。

エル・カラファテ散策

エル・カラファテは巨大な氷河湖であるアルヘンティノ湖(Lago Argentino)の東寄り南岸に位置する小さな街です。ペリト・モレノ氷河はこの湖の西の端に位置しています。湖岸には歩きやすい道が整備されており、そこをのんびりと西に向かって歩いてみました。
砂州のような場所がありました。下の写真で右側がエル・カラファテの街、左側には広大なアルヘンティノ湖が広がっています。砂州の延長線を境に水の色が違うのが面白いですね。ペリト・モレノ氷河でも同様の現象が見られました。
エル・カラファテの中心部、土産物屋が立ち並ぶ一角です。
エル・カラファテから次の滞在地エル・チャルテンEl Chaltenにはバスで向かいます。そのバスの発着場はエル・カラファテの街並みの東側にあります。面白い雲の様子は偶然の産物です。

ロス・グラシアレス国立公園でのトレッキング

今回のアルゼンチン旅行の最大の目的がここエル・チャルテンでのトレッキングです。殆どのコースはロス・グラシアレス国立公園内にあり、径も標識もよく整備されています。ペリト・モレノ氷河もロス・グラシアレス国立公園の中です。6泊に及ぶエル・チャルテン滞在で、大自然の中のトレッキングを満喫することができました。

朝日に輝くフィッツ・ロイ(Fitz Roy)です。フィッツ・ロイはとにかくカッコいいパタゴニアの秀峰、これへの最接近を目指コースを選びました。目的地はラグーナ・デ・ロス・トレス(Laguna de los Tres)です。
無事にラグーナ・デ・ロス・トレスに到着しました。湖のの蒼、雪渓の白、空の青、その中にフィッツ・ロイの雄姿が聳えています。神々がおわすのではとも思える美しさ、その圧倒的な山容にこれまでの全てが報われ、癒されていきます。これ以上の言葉はいらないでしょう。
フィッツ・ロイは既に登られています。未踏峰ではありません。でも結構ハードなクライミングを頑張った若い頃の自分であっても登頂は無理と感じます。
昨日のラグーナ・デ・ロス・トレスとは別のコース、今回はラグーナ・トーレ(Laguna Torre)を目指しました。湖の色がラグーナ・デ・ロス・トレスの蒼とは違い茶灰色に濁って見えます。流れの基となる氷河が違うからでしょうか。
雨上がりの翌日、エル・チャルテンの東側にある崖上を目指します。写真右の切り立った地形の上部ですね。ここはロス・グラシアレス国立公園の範囲外、径には不明瞭な部分もあり若干迷いましたが、人には会わず静かに自然を味わうことができました。
崖の上で得られた景色です。昨日の雨は山の上部では雪だったようです。薄っすらと新雪を纏った山々は美しい姿を見せてくれました。

第2回世界一周前半のアルゼンチン編ハイライトは以上です。繰り返しになりますが、アルゼンチンの旅で伝えたいと感じたことや、素晴らしい(面白い)と思った写真を載せたブログ(投稿記事)を以下のページにまとめて掲載しています。このページもご覧いただければ幸いです。

ウルグアイのハイライト

第2回世界一周旅行の前半、最後の訪問国はウルグアイです。ブエノスアイレスからフェリーでウルグアイの玄関口コロニア・デル・サクラメント(Colonia del Sacramento)に渡り、まずはそこからバスでモンテビデオを目指しました。

モンテビデオは、ラプラタ川河口に面するウルグアイの首都であり、同国の政治・経済・文化の中心都市です。人口約140万人を擁する国内最大の都市でありながら、落ち着いた雰囲気が漂い、南米の大都市の中でも比較的治安が良いことで知られています。私は足掛け5日間のゆったりした滞在の中で街歩きを楽しみました。

このページではウルグアイでのハイライトを写真を中心に紹介しています。より詳細な旅行記については、旅行中の地域やイベントごとに内容や印象、感想をブログ形式の投稿記事にしており、これらをまとめたページが以下です。ご覧いただければ幸いです。

フェリーとバスでモンテビデオへ

エル・チャルテンからブエノスアイレスに戻り、そこからフェリーでウルグアイに渡ります。着いた港町はコロニア・デル・サクラメント、ウルグアイの玄関口です。写真の船はそこで目に入った、私の乗ったフェリーのライバル会社の船です。
コロニア・デル・サクラメントからモンテビデオまではバスを利用しました。車窓の景色はウルグアイが農業国であることを強く印象付けてくれました。
モンテビデオのトレス・クルセス・バスターミナル(Terminal Tres Cruces)に到着しました。トレス・クルセス・バスターミナルはウルグアイのバス交通の要、想像以上に大きなターミナルでした。

ウルグアイの首都モンテビデオを歩く

モンテビデオはラプラタ川(Río de la Plata)の巨大な河口に位置しています。見た目はまんま海ですが、この水域は淡水でも海水でもなく、両者が混ざる汽水域なのだそうです。ビーチチェアを運び込み、のんびりと日光浴する人も見かけます。
モンテビデオの旧市街地域入口付近に独立広場(Plaza Independencia)があります。そこにはARTIGAS(アルティガス)と標される男性の騎馬像が設置してあります。この人物はホセ・ヘルバシオ・アルティガス(José Gervasio Artigas)、19世紀初頭のスペインからの独立運動を率い、「建国の父」と呼ばれています。
騎馬像の横には階段があります。そこを降りた地下の施設はアルティガス廟(Artigas Mausoleum)です。彼の遺骨が安置されており、両脇には正装した軍人(儀仗兵でしょうか)が直立不動で立っています。
とある公園でタンゴを踊るカップルがいました。それも年齢層が高めのカップルです。タンゴといえばアルゼンチンですが、ウルグアイもタンゴ発祥の地の一つとされています。特別なイベントというよりは同好の志による定期的な催しのような気がします。

世界遺産の街コロニア・デル・サクラメント

モンテビデオから再度バスを利用し、コロニア・デル・サクラメントに戻りました。写真は旧市街の綺麗な並木道、時間がゆっくりと過ぎていきます。
コロニアはスペインとポルトガルが南米大陸に侵攻し、互いに支配権を争った場所です。結果としてスペインとポルトガルの植民都市計画が重なり合って残った珍しい街です。そうした理由で1995年にユネスコの世界遺産に登録されています。
ラプラタ川沿いに展示されている大型の錨。右上に写るのはコロニア灯台です。
コロニア・デル・サクラメントで泊まったホテルの部屋から見た夕陽です。西の空がオレンジ色から藍色へとゆっくり移り変わる中、対岸のアルゼンチンは遥かに遠く、水平線のようにも見える広大な水面が広がっています。ここは「川」ではなく「海」と実感します。

第2回世界一周前半のウルグアイ編ハイライトは以上です。繰り返しになりますが、ウルグアイの旅で伝えたいと感じたことや、素晴らしい(面白い)と思った写真を載せたブログ(投稿記事)を以下のページにまとめて掲載しています。このページもご覧いただければ幸いです。

コロニア・デル・サクラメントが長かった第2回世界一周旅行前半、最後の地です。再度フェリーでブエノスアイレスに戻り、そこから飛行機でヒューストンを経由して羽田に帰着しました。その間のことは以下の投稿記事に書きました。関心あらばご参照ください。

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