第1回世界一周後半 no.3 – シドニー散策 その1、アンザック・メモリアル 【2025年6月12日】

anzac in ww1 未分類
Anzac trench, Gallipoli from National Archives of Australia

アンザック・メモリアル

到着翌日、今日は丸一日シドニーでフリーの予定です。まあ近くの散歩でもと思い、宿を出てきたに向かいます。一応目指すのは、ハーバーの突先にあるシドニー・オペラハウス(Sydney Opera House)です。どうせなら公園内を通って行こうと、セントラル駅北側のハイド・パーク(Hyde Park)に足を踏み入れます。

そこで目に入ったのが何かの記念館らしき建物でした。何だ塔と思いながら入ってみると、それはアンザック・メモリアル(Anzac Memorial)と呼ばれる記念館でした。ANZACとは、Australian and New Zealand Army Corpsの略で、第一次世界大戦に派兵されたオーストラリアとニュージーランドの兵士を指す言葉です。日本語に訳せば、「オーストラリア・ニュージーランド軍団」となるのでしょうか。

ピンクの花崗岩(多分?)に彫刻とレリーフを施した綺麗な外観の建物です。厳かな雰囲気が漂う場所でした。
anzac-memorial

第一次世界大戦に派兵

第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパであり、オーストラリア(とニュージーランド)の国土とは無関係だったわけです。ではなぜ、両国は遠いヨーロッパまで派兵したのでしょうか。ちょっと気になり、調べてみました。

当時の両国は、当時のイギリス帝国の自治領した。自治領とは、内政は自立しているものの外交や防衛は本国イギリスに決定権があるという状態です。そのため、第一次世界大戦の参戦も、イギリスが宣戦布告した時点で自動的にオーストラリアも参戦という形になりました。また、イギリスは派兵を求まましたが、その強制力は強くなく要請に近いものだったといわれています(この辺のニュアンスは、当時の本国と自治領の法的な関係にも依存し、微妙な感じです)。

オーストラリアの国民(その当時にその意識が高かったかはわかりませんが)は、母国イギリスを支援する義務と忠誠心を強く感じていたとされています。そのため、母国が戦うなら我々も戦うという流れで即座に参戦しました。オーストラリアから派兵された兵士は全て志願兵であり、1914年の開戦直後には志願者が殺到し、募集所では人を断るほどだったともいわれています。

当時のオーストラリアの立場

開戦当初こそ志願者に事欠かなかった派兵ですが、実際に死傷者が多数発生してきたた戦争後半には志願者が減少したようです。このため、海外派兵のための徴兵制導入の試みがなされます。1916年と1917年に国民投票で徴兵制導入が提案されましたが、いずれも僅差で否決されました。結果、オーストラリアは第一次世界大戦を通じて志願兵のみで戦ったことになります。一方のニュージーランドでは、志願者の減少により1916年に徴兵制を導入しています。

開戦当初の高揚感は、現実の戦死や大きな怪我を負った兵士の存在の前では、長続きしなかったということです。オーストラリア兵士の給与は同盟国兵士の中で最も高い給与を受け取っていました(とメモリアル内の記述にありました)。これも志願者を集めるのに大きく貢献したはずです。逆に、そうしてまで派兵を実現する必要性もあったのではないかと感じています。

若い国家であるオーストラリア(やニュージーランド)が国際的な存在感を示す、特に欧米白人国家の中で相応に認められることを強く求めたのではないかと思います。その背景には、地理的な要因が大きかったと考えられます。ヨーロッパから遠く離れアジアに近いという地理的な特質の中で、「白豪主義」を堅持し移民制限を実施していました。アジアや台頭する日本への警戒心を持たざるを得ず、イギリス帝国(特にイギリス帝国海軍)を安全保障の要と考えていたのでしょう。

オーストラリア政府、イギリス本国、オーストラリア国民、それぞれがどう考え、感じたか。現実はそう単純なものではなかったでしょう。第一次世界大戦でオーストラリアは約60,000人が戦死し、約155,000人が負傷しました。これは約490万人という当時の人口に対して、とても大きな犠牲です。この犠牲を追悼し、国民的記憶として刻み残すための施設がアンザック・メモリアルなのだと思いました。

内部の様子

建物の内部に入り、まず目に入るのが多くのネームプレートが飾られた壁です。第一次世界大戦に参加した兵士の名前が刻まれています。Roll of Honourと呼ばれるこの場所には、戦死者だけでなく、帰還兵を含む戦争に参加したすべての兵士の名前が記録されているそうです。

第一次世界大戦で戦死した兵士だけでなく、帰還兵を含む戦争に参加したすべての兵士の名前が記録されている壁です
anzac memorial

ネームプレートをよく見ると記載されているのはファースト・ネームだけで、ファミリー・ネーム(姓)は書かれていません。戦死者だけでなく帰還兵も含めて載せていることも含め、この施設の意義に関する深い考え方があるのだと思います。

ファースト・ネームだけが記されたプレート群。戦死者だけでなく帰還兵も含めて載せていることも含め、この施設の意義に関する深い考え方があります。
anzac memorial

英雄的な功績を残した者(戦死者)だけでなく、戦争に参加したすべての兵士の犠牲を称える。これがオーストラリア独自の思想として、根底にあるのだそうです。ファースト・ネームしか記していないのは、あくまで戦争に参加した兵士個人に着目し、個人としての存在を強調したいがためとのことです。

Sacrifice(自己犠牲)

建物の中心部分に円形のホールがあり、その中心に彫刻が飾られていました。Sacrificeと名付けられています。Sacrificeは通常「犠牲」と訳されることが多いと思います。私の拙い英語の感覚では、自己犠牲、自己献身、それも公(神)に対して、といったニュアンスで捉えられる言葉と思います。背景には様々な事情も存在したとは思いますが、徴兵ではなく志願であったこと、そして少なくない犠牲が生じたことを踏まえたオーストラリアの人々の追悼の記憶と感じました。

円形のホールはHall of Silence(沈黙の間)と呼ばれ、中に入ることはできません。
anzac memorial sacrifice
二階のテラスから彫像全体を見ることができます。この彫像を上から見て、解説を読む前にSacrificeという語が自然に浮かびました。
anzac memorial sacrifice

日本に対する戦争の記憶

アンザック・メモリアルは基本は第一次世界大戦に派兵した兵士の犠牲に対する追悼施設です。内部の展示も第一次世界大戦に関するものが主体です。そう思ってみていたら、日本軍に関する展示がありました。武運長久を願う日の丸です。これはどう見ても第二次世界大戦時のものでしょう。ざった見た感じ、日本に関するものはこれだけのようでした。

第二次世界大戦時における日本軍に関するもの思える展示です。
anzac memorial japanese  force

第一次世界大戦時の日本はオーストラリアと同じサイドで参戦しています。逆に第二次世界大戦時には敵味方の関係となりました。日本軍はダーウィンを始めとして北部一帯の都市に対して爆撃を行っています。調べてみると首都のキャンベラには戦争博物館があるとのこと、この展示を見て是非訪れようと思いました(その印象は後日記事にして投稿しますね)。

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