ブダとペストとブダペスト
ハンガリーの首都はブダペスト(Budapest)。小学校でそう覚えて以来、私の知識は更新されていませんでした。今回ブダペストに来て初めて、実は元々はブダ(Buda)とペスト(Pest)という二つの都市が存在し、それが統合されてブダペストになったのだと知りました。
ブダペストの真ん中をドナウ川が流れていますが、その西側がブダです。よりヨーロッパ中心に近い位置取りですね。一方でドナウ川の東側、ヨーロッパ中心から遠い方がペストです。両者は地形的にも特徴があります。ブダは丘陵地にあり、ドナウ川の存在と相まって砦を築きやすい地形です。このため、中世にはハンガリー王国の王宮が置かれ、政治と王権の中心地でした。
一方のペストは平地です。ドナウ川の東側は広大な平野が広がっており、ペストはその西端と考えることもできます。このため、商業都市として歩みます。オスマン帝国支配下でも都市機能を維持し、近代化と経済発展の中心となりました。
歴史の荒波に揉まれた東西の接点
以下の写真(もどき)はGoogle Earthから得たものです。右側に見える薄青緑の屋根の建物がブダ城です。ドナウ川岸から盛り上がる丘の上に位置していることがわかります。ドナウ川の東側には平地が広がっていることも見て取れます。この写真を見ることで、ブダは砦を築きやすい地形であり王宮が置かれたとの上記説明の理解が進みますね。

ブダペストは東西の接点として古くから厳しい運命に見舞われてきました。紀元1世紀には、ローマ帝国がこの地に都市を建設していました(オーブダと呼ばれました)。パンノニア属州の中心地であり、ローマ軍団の駐屯地が置かれ国境防衛の要塞都市として機能しました。
1241年のモンゴル襲来では、ブダとペストを含むハンガリー全域が壊滅的打撃を受けました。ハンガリー王国は大敗を喫するもののモンゴル撤退後に王国は再建されます。ところが次にオスマン帝国が来ます。1526年のモハーチの戦いでオスマン帝国に敗北し、1541年のブダ包囲戦を経てブダはオスマン帝国に制圧されます。
オスマン帝国下のブダペスト
この結果、ハンガリー王国は事実上三分割されました。西部と北部はハプスブルク領ハンガリー王国としてハプスブルク家の支配下に入ります。ブダを含む中央部はオスマン帝国の直轄領となり、東部はオスマン帝国の従属国ともいえるトランシルヴァニア公国となります。
ブダはオスマン帝国の行政中心地となり、パシャ(総督)が置かれました。イスラム建築や文化が導入され、モスクやトルコ式浴場が建設されました。宗教的には比較的寛容で、イスラム教以外の信仰も可能でした(ただ、イスラム教徒以外は種々の不利益があったとされます)。ブダはオスマン支配の象徴であり、行政・軍事の中心として重視さました。一方で、ペストは商業都市として補助的に扱われたようです。
オスマン帝国の支配は、1686年にハプスブルク家が主導する神聖同盟軍がブダを奪還するまで続きます。トップの絵は、神聖同盟軍によるブダ城の攻撃を描いたものです。当然西側からの攻撃となりますが、Google Earthから得た写真と地形を見比べてみてください。
近現代も苦難は続く
オーストリアの弱体化により1867年にはオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立し、ハンガリーは自治を獲得し帝国の一翼を担うことになります。そして1873年にブダ、ペスト、オーブダ(旧ブダ)を統合してブダペストが誕生しました。
第一次世界大戦においてオーストリア=ハンガリー二重帝国は敗北します。ハンガリー王国は形式的には残りましたが、領土は大幅に縮小しました。1930年代には領土回復を目指してナチス・ドイツに接近し、第二次世界大戦は枢軸国側で参戦します。種々混乱の中で1944年にはナチスに占領され、ユダヤ人迫害が激化します。
1645年に世界大戦は終結しますが、ソ連軍が進駐しソ連の影響下で共産党政権が成立します。1956年には民主化とソ連からの独立を求める蜂起が起こるのですが(ハンガリー動乱(Hungarian Revolution of 1956)と呼ばれています)、ソ連軍により武力鎮圧されます。

結局、ハンガリーが民主化されるのは、ソ連の影響力の低下まで待つ必要がありました。1990年に複数政党による自由選挙がハンガリーで初めて実施されます。2004年にはEU(European Union)に加盟し、2007年にはEU加盟国間の自由な移動が保証されるシェンゲン協定にも加盟しました。
東西の接点に位置する大陸の国家は、本当に大変なのだと思わずにはいられません。日本は島国で良かった…。
現在のブダペストあれこれ
たかだか二泊の滞在です。その中で私が持った印象ですが、街の中で旧共産圏時代の匂いを感じることはありませんでした。旧体制の崩壊から四半世紀です。変化は早いということでしょうか。以下の投稿記事でも触れていますが、中心部のモールはどこの国の大都会に必ずあるであろうそれと同じです。出店しているテナントも、まあ同じようなものです。

旅の面白みがないと思いつつも、安心感があるのも事実。結局私はモールにあるフードコートで夕食を食べました。トルコっぽいケバブバーガーとサラダです。どちらも日本円で700円くらい。二皿で1,400円を超えます。美味しかったのですが、ちと高い。正直にそう思いました。

ハンガリーではユーロを導入していません。ハンガリーの財政状況が導入を許さないのか、それとも経済政策の自由度確保のため独自通貨を選択しているのか(ハンガリーの通貨はフォリント(HUF)です)。おそらく両方ではないかと思います。ただ街中では、ユーロとフォリントの双方の引出しが可能なATMを結構見かけました。




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