何としてでも行きたかったアウシュビッツ
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所(Auschwitz Birkenau Concentration Camp)、長いので以下単にアウシュヴィッツと記しますが、ここには何としても行きたいと思っていました。今回の世界一周で東ヨーロッパを目的地の一つにしたのも、このためです。
そう思う理由は何なのか。自分のことなのによく分かりません。この投稿記事を書いている今は、もちろん見学を終えた後です。相当の時間が経っているのですが、書こうとすればそこで見たこと感じたことを思い出します。それだけで気分が重くなるのです。
でも、書かなければいけない。まずは自分のためです。書き残せば、それを見返すことでいつでも反芻できます。それに加え、自己満足ではありますが、見たこと感じたことを誰かに伝えたい。そういった思いに駆られる経験でした。
強制収容所の構成
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所とい一口に括っていますが、元は二つの主要な収容所で構成されていました。先に設置されたけ収容所であるアウシュヴィッツⅠと、その後に建設されたアウシュヴィッツⅡです。ビルケナウと通称されており、この投稿記事でもその呼称を使うことにします。
アウシュヴィッツⅠは旧ポーランド軍兵舎を転用して1940年に開設されています。最初の収容所であり、全体の管理中枢的な役割も担っていました。ビルケナウ(アウシュヴィッツⅡ)は1941年以降に建設が始まりました。ガス室や焼却炉といった大規模な絶滅機能を担った、いわば殺戮のための施設です。
トップの写真はビルケナウの方で、鉄道が引き込まれています。この鉄道はヨーロッパ全土に繋がっており、命の終着点だったわけです。この二つの施設を合わせて、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所と呼んでいます。
アウシュヴィッツ見学のシステム
アウシュヴィッツを訪れるに当たって色々と調べました。アウシュヴィッツは博物館(アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館)として運営されています。実際に行ってみて、過去にそこで起きたことを展示し伝える博物館としての役割に加え、ホロコーストの記憶を伝え残し犠牲者を追悼する、いわゆるメモリアルとしての役割も大きいと感じました。
入場には事前予約が必要です。ただガイドツアーへの参加が推奨され、ガイドなしの個人での入場は事実上枠が取れない状態です。アウシュヴィッツのホームページから予約を取るのですが、私がアクセスした時には、ガイドなしの個人入場の枠は出てきませんでした。ホームページでは日本語も選べますが、日本語で書かれている内容はごく少なく、結局英語ページを見ることになりました。
ガイドツアーの予約枠も、いい時間帯、いい言語(英語ですね)の枠は相当早くに埋まってしまうので、早めの予約が重要です。残念ながら日本語のガイドツアーは、ホームページの予約ページでは表示されませんでした。私はまず、英語のガイドツアーを予約しました(予約だけです。すぐにお金を払う必要はなかったと思います)。
日本人ガイド、中谷剛さんのツアー
アウシュヴィッツに関してwebを漁っていると、とあるブログで中谷剛さんという方の存在を知りました。アウシュヴィッツ国立博物館の公式ガイドであり、日本語でのガイドツアーを催行しているとのことです。
実は日本人のガイドがいることはうろ覚えながらどこかで聞いて知っていました。ただ、具体的な名前は今回調べてみて初めてわかりました(webがなければ不可能でした)。そこでメールで中谷さんに連絡を入れ、ツアーに参加させてもらうことにしました。メールアドレスは個人情報でありここに載せることは躊躇われるのですが、上記のとあるブログには記載されています。リンクは再度貼っておきます。リンク先のブログを読めば連絡はつくはずです(私はそれでツアーに参加できました)。
中谷さん催行のツアーに参加して正解でした。英語を聞くのはやはり疲れます。フォローしきれずに聞き逃す内容も多いです(これまでの英語ツアーへの参加経験から)。中谷さんのツアーはもちろん日本語、説明される内容は質、量ともに満足のいくものでした。彼のおかげでアウシュヴィッツの見学は、実り多く満足のいくものとなりました。
アウシュヴィッツには電車で
ツアーは現地集合です。クラクフの中心部からアウシュヴィッツまで直行するバスがかなりの頻度で運行されています。多くの参加者はそのバスを利用するようですが、私は鉄道が好きなので列車で行くことにします。まあ、宿がクラクフ中央駅に近いということも理由ではあります。
切符はクラクフで往路、復路とも自動販売機で買いました(往復切符ではなく、二枚の独立した切符です)。ちなみにシニア料金カテゴリーです(自動販売機ですから、単にシニア切符を選ぶだけで買えます)。もちろん年齢を示すID、私の場合であればパスポートですが、これを携帯するようにします。ただ、提示を求められることはありませんでした。

目的地のオシフィエンチム駅までは乗車時間は40分程度です。新しい車両で快適でした。、私が乗った時間帯は土曜日の朝、9時前後だったのですが、乗客は疎らでした。強制収容所はオシフィエンチムの町に位置していますが、ドイツ占領下で地名がドイツ語化された結果アウシュヴィッツという名が付けられました。


アウシュヴィッツの周辺
ツアー集合時間の1時間ほど前に現地に着くよう列車に乗りました。一つには駅からアウシュヴィッツまで歩きたかったこと(20分ほどです。バスも走っています)、もう一つはアウシュヴィッツの周辺を散策したかったことです。その当時に思いを馳せながら、周辺の雰囲気を感じたかったのです。
駅からアウシュヴィッツの行く途中、以下の写真のような集合住宅がありました。こうした普通の人々が暮らす生活空間のすぐ近くにアウシュヴィッツがあるのかと感じました(その当時、この建物はなかったとは思いますが)。

アウシュヴィッツの前を通り過ぎ、近くに流れる川沿いの緑地に出ます。一部は公園として整備されているようで、なかなか居心地のいい空間です。その当時も川は流れ、この緑はあったのだろうなと、詮無いことを考えながら歩きました。


コメント